1月29日(月)
先週のことになりますが、テレビで墓終いや離檀(檀家を辞める)ということについて話されていました。先祖代々お世話になってきたお寺に離縁状を突き付けるとか、先祖代々のお墓を壊してしまうとか、私自身も現代の世相を寂しく思っていました。しかし、週末に外食をしていましたら、恐らくどこかのお坊さんだと思うのですが、こうした離檀について大声で話している姿に出くわしました。また、そのお寺が本堂の修復をするときにその離檀をされる方が1円のお布施もされなかったという話、またその件を万座の中で「なんていう奴や」と大声で怒鳴りつけてやった、という話も耳に入ってきました。最初は、墓終い、離檀する人のことを寂しいというか、ひどい話だと感じていましたが、だんだん聞いているうちにこれはお坊さんのほうが悪いと思えてきました。稲盛さんの本をよく読んだりしていましたから、少しだけ仏教には興味があります。そもそもお釈迦さまは最もやってはいけないことは、怒ること(瞋恚)だと話され、先ずは自信を顧みることの重要性を説かれたはずです。お釈迦さまは、因果応報、世の中心は自分自身であり、目の前で起きることの全ては自分に原因があるのだと教えたと聞きます。私も経営の中で社員さんたちに最もよく話すことです。「自責で考えれば知恵が出て、他責で考えれば愚痴が出る」、このお坊さんの場合、愚痴を通り越して怒りにまで発展しています。本堂修復の際に、自身はどれほど倹約に励み、自身のお寺のことであったとしても最も沢山の寄付をする姿勢があったのでしょうか。見る限りはかなりお酒も進んでおるようで声も大きくなっていました。そもそもお酒を飲むこと自体もお釈迦さまは許されていなかったと聞きます。三蔵法師の時代には肉を食べることもNGであったとか。恐ろしいほど膨れ上がったお腹をしながら、酒を飲み高い肉を食べ、思い通りにならない信者さんを罵倒する。この姿勢を見る檀家さんにお布施までして当たり前感覚で物を話すお坊さんに誰が布施などするものでしょうか。それこそが「足るを知る」ことを忘れ貪欲という言葉がふさわしいと感じていました。そもそもお坊さんとは聖職者であるべきだと思いますが、この姿は頂けませんでした。まさに自業自得だと感じました。
そんなこんなですが、私自身は社員さんの手本になれているかと言えばはなはだ疑問ですが、最低限「自責」、会社で起きる悪いことは全て自分の責任であり、良いことは全て社員さんのお陰様、お客様のお陰様という感覚は常に持っています。しかしながら、手を合わせるという日本人の心がどんどん失われていく世相には寂しさを感じます。当社に毎月安全祈願に来ていただけます、神社の宮司さんは本当に質素です。そして、本当に倹約に励まれて、改修などが必要な折には一番の精進をされています。こうした方でも、段々と手を合わせる人が減っているといいます。寂しい話ですが、何であれ、私自身は感謝する心、手を合わせる心は常に持ち続けたいものだと考えています。
さて、今週も調整日からのスタートです。お仕事は十分には頂けていませんが、「足るを知る」という姿勢を大切に、1月も終わろうとしていますが、2月、3月は少しずつですが受注が増えているようですから、「有難うございます」と手を合わせます。そして社員さんたちによる改善も日々進んでいますので、2月以降は収益の目途もしっかり立ちそうです。本当に有り難いと思います。
今週も皆で頑張って、向かい風に立ち向かっていきましょうね。「負けてたまるか大作戦」。
社長 松原史尚