「亡き父の誕生日」

「亡き父の誕生日」

11月10日(木)

今日は亡き父の誕生日です、現在の関工場での操業を決断した社長です。

近隣の皆様に環境で大きな迷惑をかけており、他に手法はなかったとのことですが、良く決断できたと思います、建設を決めた昭和60年代はバブル経済に向かっていく直前でインフレは始動していました。

私は平成元年に大学を卒業した、バブル元年の就職組ですでに景気は絶好調でありましが、その前年昭和63年の就職は厳しかったことを覚えています。その中での決断、そして昭和63年に工場は完成しました。当面は旧工場との並立体制、本格稼働は平成元年であったと聞きます。最悪期の決断ではありましたが、日本史上かつてない最高の追い風が吹きました。

「ピンチはチャンス」「投資は最悪期にする」これが当社の絶対の感覚になっていたのも決断の後押しになったそうです。

2直体制の確立、生産性も一気に向上させていった。その結果、一気に新工場を軌道に乗りました。

社員数は一気に100名体制になり、倍以上になりました。

私には、新しい工場を建てるような決断はできませんが、安全、品質、生産性に大きな影響を与えない老朽化設備は専門家の知恵をお借りして絶対に問題起きないように修繕をする。そして、設備の老朽化が安全、品質、生産性に影響を与える設備はコロナショックという逆風の中で、約11億円(決断時の年商3割)の決断をして入れ替えました。「ピンチこそチャンス」「投資は最悪期にする」の原則によります。

当社は、神仏のご加護なのか、常についています。

この11億円の投資の約50%をコロナ関連の補助金で導入することが出来ました。

材料費の高騰という逆風もありましたが、幸い材料費の高騰については価格転嫁できる仕組みがあり、製品の値上げも進めることが出来、現状では年商の2割程度にまで投資額が減少していることも財務指標的には助かっています。半導体不足などの影響は鋳造設備にも出ています。令和2年というコロナ初期の設備投資の決断であったために、11億円で完成することが出来ましたが、現状であれば恐らく15億円でもできないであろうし、それ以前にお金を出しても手に入らない可能性もあります。

そして、令和3年度は「働き方改革施行」の年でもありました。人口の低下、外国人労働者が入国できない、やっと入国できると思えば円安による影響で日本が働き場所として選択されないようになってきました。

その結果、多くの企業がこの働き方改革法案を遵守していない現状があります。労働局も、現状を黙認しています。

しかし、働く人にとってはどうでしょうか。私ならば、法律を守らないような企業の将来性に疑問を感じます。

このように、大きな逆風が吹く中でもやるべきことはしっかりやる。

一昨日のブログにも書きましたが、賃金では物価高を見越して、既に昨年の時点で平均3%を超える賃上げを若い人を中心に進めました、そして更にインフレが進んだ現在冬の賞与ではベースアップの形で賞与を上乗せ、更に成果の大きかった人にはその配分をする。また、春にはインフレ対応のベースアップも必ずします。

逆風の中での設備投資、法令遵守、インフレ対応の賃上げの実施、こうしたしなければならないことは絶対にする。

こうした姿勢は父に学んだことです。結果として、今年度中に8名の日本人中途社員さんの入社、2名の育成アルバイト(その方のお父様からの依頼で育成目的でアルバイト待遇)の入社、春には6名の技能実習生の入社を予定しています。

更に、今期は令和6年春に向けた新卒の大型採用も進めていきます。

この人で不足の時代、逆風吹き荒れる時代だからこそ、やるべきこと、守るべきことはしっかりやる。

それが出来ない企業で働いていた人が当社への転職を決めてくれています。

私は、中途社員さんの採用には一切関わらないようにしています。本来社長としてどうかという話ですが、私には大きなネットワークがあり、岐阜県内、特に近隣の企業の社長さんたちに知り合いが多くあります。履歴書を見た瞬間に知っている社長さんの顔が浮かび、その企業からの転職を受け入れることをためらってしまうからです。一方で転職を決める人には、その確固たる理由が存在します。当社に入社しなくても、必ずどこかほかの会社に行くのです。そのように考えると、こうしたしがらみは邪魔になります。

副社長、総務・労務の担当常務が全てを担当してくれます。本当に有難いことです。

これほどの人財不測の中で、中小企業でありながら当社は新しい人たちに選択をしていただける。

今でも、父の背中を追いかけ経営をしています。今日は亡き父の父の誕生日、ふと思い出しながら、現状を振り返ってみました。

今日も良い一日になりますように。

社長 松原 史尚

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