7月23日(火)
久しぶりに京都に来ています。目的地が嵐山、次亜塩素関係を食品分野での活用にと先輩が紹介をしてくれましたお会社様への訪問です。少し早く着き過ぎましたので、朝一で嵯峨野をぶらぶらしました。朝から日差しが痛いほど強く、人も少なかったのですが、それでもすれ違う人が50人程度いました。なんと日本人が僅か3人、他は全て外国人でした。外国人にとっても、日本の暑さは厄介なようです。大人はそれなりに我慢が出来るでしょうが、子どもたちにとってはそうでもないようです。例外なく、機嫌が悪く小さい子の大半が泣いていました。日本の暑さはやばいようです。「日本を嫌いにならないで欲しい」と願っています。
今日のテーマは悩みましたが、愛別離苦にしました。本当に可愛がっていただきました地元の経営者の先輩が亡くなりました。最初にお会いした日のことを今でも覚えています。頂いた名刺を粉々になるほど破って地面にたたきつけました。先輩との出会いは、ある飲食店でした。もちろん、目の前ではありませんでしたがお店を出て即座に破り捨てました。「目上の人に対する接し方」、人としてを徹底的に罵倒されました。社会に出て、ほとんど話したことも無かった人に突然怒鳴りつけられたら一般的には許容できるものではありません。しかし、こうしたスタイルを徹底的にどこでも貫き通す人でした。出会いはこんな感じで、私の激怒から始まりました。しかし、考えてみるほど、このおじさんの言っていることが正しいと思うようになりました。次に会ったとき「先日はありがとうございました。良い勉強になりました」と話したら、先輩は驚くほど丁重な対応となられました。本当に大切にしていただき、様々な場所に連れて行っていただきました。先輩は陛下から2度も勲章を頂きました。やはり立派な方だったのでしょう。ただ、後輩たちには一度目に合う時に同じ洗礼を浴びせるようで、先輩を受け入れられない人も多くいました。ただ、不可思議ですね、こうした人は経済界からも消えてしまったり、困窮していたりする人がほとんどです。感じるのは叱られたときほど、そのことを自身の弱さとして受け止められるかどうか。先輩は、素直な心=「徳」があるかないかを見極め、徳のある人としか付き合わないそんな心の態度を徹底して貫いていたのかもしれないと最近は感じていました。故に、厳しい人ではありましたが、善悪の判断基準を明確に持たれている方で、お会いするたび学ばせていただきました。昨日眠っているほど穏やかに旅立たれたそうです。奥様はてっきり眠っているのだと思い、朝食の時間に声をかけても反応もなく、呼びかけて、呼びかけて、呼びかけて他界されたことに気づかれたようです。最後にお会いしたのは2週間前でしたが随分持病が悪化していたようで、この先奥様に介護のお世話になる事を気にしておられました。そんなこともあり潔く旅立たれた、先輩の男気であったように思います。いつかは来る瞬間ですが、本当に寂しいです。今日は京都にてお通夜には間に合いそうもないですが、明日の告別式には参列したいと思っています。「愛別離苦」、先輩ゆっくりとお休みください。いつか彼岸でお目にかかりたいと存じます。
社長 松原 史尚