「問題解決力」

「問題解決力」

10月2日(水)

 昨日のことになりますが岐阜大学の学長先生、副学長先生とゆっくりお話しする機会をお世話になっている岐阜県議会議員の松岡先生のご縁でいただくことができました。青年会議所時代の後輩、そして地元の経営者仲間と経営者3名との情報交換の形となりました。

 当初は岐阜の未来のために企業として大学に求めることといった話でスタートしました。少しずつ話が変わっていきながら、最終的には学生たち(未来の日本人)に求めることといった話をしていたと思います。社員旅行の形態の今昔、飲み会の今昔、そしてハラスメント問題、最終的に行きつくのはやはり親父たちの愚痴かといったところは最近、どこに行っても感じるところです。

 ただ個人的な見解として話したことは強く感じているところ、またこのブログを観てくれている若い社員さんたちにも言えることだと思うので綴ってみたいと思います。ここ数年の日本人に欠けることは「問題解決力」だと感じています。その大きな原因は日本人が生きていく上で「困る」ことが無くなってしまったことに起因しているように思います。人間の基本的な欲求である、安全欲求や生理的欲求というところが基本的には満たされているが故に最低限、呼吸をして生命を維持させていくことができる。住むところもない、食べるものもない、着る服もない。そんな状況であれば人は命がけで自身の現状の問題を解決しようとすると思います。

 これは語るには賛否があると覚悟の上で綴りますが、子どもにとっての天敵がいなくなっていることも大きな原因だと思います。昔の子どもたちにとっての天敵は大きく上げて3人(時に複数人)いました。圧倒的な天敵は親父、祖父といった存在でした。「お天道様に顔向けできるか」といった話が解りやすいかもしれませんが、この種の天敵に生きるべき理念を教わった気がします。しかし、今、母親(祖母)が強すぎる。つまりこの種の天敵がこの種が強くなったことで弱体化させられている。天敵ではあったが、子どもが迷っても、時に若干のピンチが起きても絶対に手助けすることなく子どもが自身で問題を解決するまで見守っていた存在でもありました。今は、天敵を弱体化させた存在が問題を子どもが解決する前に助けてしまう。もっと言うなれば、問題が起きる前に助けてしまう。既に、この天敵の消滅による種の変化は第2ステージに入ってきました。この種の天敵がいない時代に育った子どもたちが本来天敵になるべきステージに入ってきました。こうした「人生理念」のない子どもたちが社会を動かすようになってきたのです。その結果が認証偽装などの企業の社会的な問題や「闇バイト」といったこれまでの日本人では考えられないようなことを起こしてしまっていると感じます。

 次の天敵は「先生」と言われる存在です。昔は本当に厄介な存在でした。「何が気に入らない」のかわからなく殴られたことすら記憶にあります。勉強を教わるだけでなく、社会の秩序を教わっていた気がします。しかし言うまでもなくコンプライアンスによりこの天敵は弱体化されました。この先生という存在も第2ステージに入ってきています。人生理念を持たない教師が先生として子どもたちを育てるようになってきました。子どもが育つにつれて、表現悪く言えば明らかに軟弱に育ってきている子どもたちは一目瞭然で解ります。その責任を配偶者に押し付け合うから「離婚」となるでしょう。子どもたちが問題行動をすれば先生と親との間で責任の押し付け合いとなる。こんな時代の先生は可哀そうである。教員の賃金を上げることに教師不足の問題の焦点が向かっていますが問題の根本が異なっていると感じます。人には「承認欲求」なるものが存在するのです。その一部は財産(お金)ではあるが、社長として15年を超えて働いて感じることはお金で満たされる承認欲求は驚くほど多くないということです。むしろ、仲間や社会、多くの人に役立ち「ありがとう」と言われることで満たされる承認欲が如何に強いかということです。ここにこの先日本が進むべき方向性があると思います。

 第3の天敵は「ガキ大将」という存在でした。それは単なるいじめというものではなく、例えば魚を取りに行けば取れた魚を活躍した順に公平に分配する。また、全く活躍していない子どもにも「ゼロ」分配ということは絶対にしない。どこまで行ってもボスであり続けるために、どんな弱いものにもボスとしての存在を示した。つまりは「存在承認」ということにまで気配りをしていた。承認欲求から存在欲求まで実に見事にやりこなしていた。今考えると当然ではあるが、こうしたガキ大将は起業し社会の中心になっていった。政府が躍起になっている「起業」を教えるまでもなく、子ども社会の中で、その天性の才能が磨かれていった。こうしたガキ大将は声も大きく、時に暴れ者にも見えた。今では「いじめ」という言葉でこの存在が絶滅しつつある。そもそも今は魚など取らなくて良いし、とっても食するには課題もあるから時代が大きく異なります。

 こうして社会から天敵が消えて子どもたちは「困らなくなった」。如何に親父に叱られないようにするか。そのために人生理念を学び「善い人」になっていった。先生に如何に気に入られるか。そのために勉強もした、部活動も頑張った。何よりもあいさつやそうじ、人としての当たり前を学んでいった。ガキ大将に気に入られるために、もしくはガキ大将になるために自身を鍛え、コミュニケーション能力を鍛えていった。その根本にあることは何か「天敵(仲間)が何をしたら喜んでくれるか」、その課題を見つける力を日々磨いていたということです。今の子どもたちに欠けていること、それ以上に今の社会(人)に欠けていることは「問題解決力」というよりもその前に相手(社会・お客様)が何に困っているかを見出す能力だと感じます。今の子どもたちが「結婚できない」でいることも同じ原因だと思います。相手(異性)の喜ばせ方を知らない。「有難う」と言ってもらうことは簡単ではないが原則はあります。「相手の困ったを解決する」ことである。相手の困ったを見つけ出す能力に欠けるが故に相手(異性)を喜ばせられないから結婚にも繋がらないのである。結果として、生理的欲求、安全欲求が満たされているが故に「結婚などしなくても生きていける。」となるのである。

 長々綴ってしまいましたが、故に今の学生にやってもらったらと思うこと。

  1. インターンシップを全大学の必須科目とする
  2. 属した企業の根本的な課題を一言集約する
  3. ②の解決方法を見出す。
  4. ②③をレポートにまとめ合否をもらう
  5. このレポートをお世話になった企業に提出をする

 天敵の存在により社会の困ったを見出す力を養ってきた日本人にとっての天敵が存在しなくなった今、ほぼ90%以上の子どもたちが大学に行くのですから、学問として「社会(相手)の困った」を見出す力を学問として付けさせることが大学教育の進むべき道なのではと考えます。そしてこの能力が付けば異性に対するアプローチ能力も付く、結婚も進み、少子化問題の解決にもなる。学生からの率直なレポートを少なくとも私は受け取ってみたい。必ず、会社を発展させてくれると信じるから。

社長 松原 史尚

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