11月20日(水)
2009年6月に社長に就任して15年が経過しました。社長に就任してから15年、ただの一度も順風であったと感じたことはありません。2009年時代はリーマンショックのど真ん中にありました。派遣切りという言葉が流行しました。まだ面接をし終えたばかりの実習生、組合からは「時代が時代です。キャンセルしていただいても良いですよ。」という言葉を頂きました。しかし就職氷河期と呼ばれた時代です。切られたところで就職先を探すのも難しい時代、まして100年に一度と言われるような不況時は新興国程大きなダメージを受けます。(その後にコロナショックもやってきましたから、百年に一度は一体何回あるのかと感じていますが。)さておき、こんな時代に派遣さん、パートさん、アルバイトさん、実習生さん、誰一人お断りをすることなく全員でピンチを乗り切る覚悟をしました。実際に「社長こんな時期ですから」という言葉もありましたが、「誰か切るなら俺が先ず辞める。」と言い切り離職ゼロを実現しました。この頃は「賃下げ」という言葉も流行しました。この折には会長にもお願いし、自身の収入をお互い大幅に返上しました。それでも絶対に賃下げもしない。そう言い切り乗り越えることができました。「就職氷河期」そんな時代だからこそ、多くの学生さんが入社試験に応募してくれました。最終意思確認をして「マツバラに来たいです。」そういってくれた学生さんには全員入社してもらいました。その折の入社は7名、一人スポーツを実業団でしたい、「お誘いがあったので行きたい。」と離職(夢あり離職は常に歓迎です)をされた社員さん以外の全てが現在管理職としてマツバラを支えてくれていることに感謝します。驚くことに、経済産業省から雇用を創出する企業1400社にここから3年連続で選出されます。恐らく、それは単に他の企業がリストラをたくさんしたのに対し、誰一人お断りすることなく、取れる限りのご縁ある社員さんを採用させていただいたからだと思います。単に消去法で1400社の中に残っただけなのでしょう。「時代の正義は常に生き残ること。」故に、社会的には人を切ることが正義であったのかもしれません。ただ私の正義はどんな時代でも「有難う」です。あの時が超えられて今がある。本当にそう実感しています。
リーマンブラザーズが破綻した翌日には、まだ副社長でしたが「社長、借りられるだけ金借りてください。とんでもない時代が来ます。」社長は怪訝な顔をされましたが「好きにしろ」と言ってもらえましたので。月商の約2か月分を長期で借りました。驚くほどの速度で受注が減り、操業度が3割を切った月もありました。その資金があったことは本当に良かったと思います。目先の収益を求めるのは社員さんよりも株主さんでした。そのほとんどは身内でした。「この時代に人も切らず、むしろ人を増やしとる。このままでは会社は無くなる」と用意した資金の多くが身内の株を購入することに使用されました。この時には流石に痺れましたが、今思えば恐らく二度とあれほど安く税務署が納得する形で株を取得することは出来なかったでしょう。
何度かに分けて綴ろうと思います。どんなに苦しくても善いことをする。気が付けば必ず結果が付いてくるのですから。あの時の覚悟があって今があるのです。好調な時にはあまり判断は狂いません。狂うとすれば、慢心=身の程を知らない行動をするくらいです。しかし、ピンチを迎えたときに人は本性が出ます。その本性が善である会社経営をしていくこと。12月にはブログを閉じます。社員の皆さん、新社長と新たな未来を構築するに、「善いことをする」。この基準だけはぜ絶対に忘れないでいて欲しいと思います。
ちなみに熱はすっかり下がりました。明日には出社できます。ご心配をかけました。
社長 松原 史尚